久しぶりすぎて、なんもいえねえ(北島康介風)
いやいや、いえねぇじゃなく書けないって話。
なんだかんだで一ヶ月以上放置、
昔のわたしなら考えられないほど放置。
(なんたって一日に数回更新しておったけんな!)
でもねぇ、今までのわたしの考えではちょっと限界かな?とか思ったり、ね。
身の回りが落ち着かないのじゃ!
ん、わたし的には屁でもない!って感じだったんだけど、ね。
やっぱ、どっかで手抜きっていうか(今までも大雑把で手抜きだったけど)だらしない部分が山盛りてんこ盛りみえてきたって感じ。
昨年の7月、母が我が家の近くにアパートを借りて引っ越してきたんですが無理がたたったんでしょうねぇ、
もともとあちこち悪い母ですが環境の変化やストレス、もろもろですっかりダウン。
9月に一回目の入院、その後12月には退院。
それが年末、体調を崩し…元旦の夜に緊急入院。
ここでね、わたしはまだ病院選びの失敗に気がついていなかった…(´Д`)ハァ…
いや、前回の入院で薄々変だなとは思っていたけど忙しさでスルーしてた(泣)
元旦の入院から変だな変だなとは思っていたんだけど口を出すのも何だしと思いながらほぼ毎日病院へ様子を見に行ってた。
最初はあれが食べたいこれが食べたい、携帯を持っては電話をしてきて「今、仕事ー!」とか「もー、後でもいいでしょ!」とか普段の会話をしていた。
それがカラダが痛いといいだし、口の中が痛いといいだし、食べたくないといいだし、苦しいといいだし、
大きな声で叫び、コールを押し、(ここからは文句になるけど)これだけの状態になってるのに放置され。
最初は歩いていたのに歩けなくなり、ポータブルトイレを置かれたけど間に合わなくなり、
口の中が岩のようになっているのに常食で、しかも酢の物や肉、固形のそれもガチガチ固め・・・酢なんてしみるだろ!
そんなこんなで、それでも3月15日だったかな?電話で「外出許可が出たよ」っていってたので、
「なら19日に休みだから12時から17時まで帰ってこようか?でも、なんか黄色いね(黄疸)大丈夫かね?」なんて話した外出の前日!
顔は浮腫んで発熱(それ気がついたのはわたしで、熱はかったのも、わたし、おかしくね?)尿も出てなくて、黄疸も。
左肩を異常に痛がって、叫ぶ。
医者が来たけど…点滴の中に利尿剤の追加の指示をしただけ。
わたしが「利尿剤が増えたらおしっこ間に合わないので可愛そうです」っていえば「どうせ、おむつでしょ?」って医者…(まだおむつじゃないから!)
そのあと、わたしがムッとしたことに気がついたのか?バルーン。
次の日、意識が朦朧としているのに車椅子で検査に連れて行こうとする。
食事?まだ常食出てたわ。
看護師に「介助してもらえないんですか?」って聞いたら「ベッドアップだけはしますけど介助はしてません」ってどうよ?
常食だって気がついてなかったってどうよ?
バカ?医者が説明があるってんで行けば「どうしてこうなってるか?専門外だから正直分からない」って。
「MRIを撮ったら左上腕の骨が壊死してる」って(はぁ?)心臓は悪いながらも動いてる」って(はぁ?)
「黄疸は原因がわからない」って(はぁ?)もーこのへんでやめとかないと腹が立って仕方ない。
母は意識が朦朧としてるし、わたしの判断であちこち連絡をして、まずは孫(わたしんちの長男)が飛行機に乗って帰ってきてくれた。
声掛けには反応したりしなかったり…でも確実にレベルは落ちてる。
パパも何回も見舞ってくれた、もちろんわたしと同居中の(孫)娘も。
わたしの弟とも連絡をとった。
そうこうしてるうちに突然!転院の話をされて転院先の病院と連絡をとったから、と。
状態が悪くなる前に手離しとけ!って感じか?って思ったけど、ここよりはしっかり診てもらえると思ったので了承。
ベッドが空くまでっていうのは、そんなに日にちがかからなかった。
転院の日の入院代の支払いの紙に「退院おめでとうございます」って書かれてたことに悲しくなった記憶がある(もう過去)
転院してからの母はMRI、腰椎穿刺、内視鏡、あれこれ転院したその日から検査が山盛りてんこ盛りはじまった。
体力が持つのか?ってくらい、たくさん。
でもそのたびに検査内容、結果の説明があるから安心かつ、今後の覚悟もできると思った。
今、転院時ビリルビンの数値が約17あったものが約8まで下がった。
CRPも約12あった数値が約7まで下がった。
でも、抗生物質を連日使っているから腎臓の機能が悪くなって、また浮腫みが出てきた。
状態は少しずつ改善されつつあったけど胸の苦しさは著明だった。
肝機能が悪いと腎機能も低下する、ってね。
昨日は入りだった仕事を急遽変わってもらって病院へ直行。
心室頻拍が出て数分(数秒?)心停止があったとのことで医者からの説明があった。
今後のことも含めて話した。
病室に戻ると母はいつもと変わらず話をしたりニヤッと笑ったり、なにが嬉しいって転院してから数日、わたしのこともわからなかったからわたしがわかることが嬉しかった。
そして生きててくれることが嬉しかった。
ずーっと、わたしたちから離れた場所で一人で暮らしていて仕事やなんやら理由をつけては会いに行ってなかったから、
こっちに越して来てこれからだ!と思ってた矢先の出来事。
まだまだ母にしてあげたいことがいっぱいあるのに、このまま逝かれるのは嫌だ。
うん、わかってるんだよ。
人はいつか必ずいなくなることは、ね。
でも、今は…ね。
後悔ばっかり。
家から近いから通いやすいでしょ?の病院選びは間違いだった…と反省。
だから、仕事も休む日々。
仕事関係者には申し訳ないと思ってるけど、今は休むことを選びたい。
今日も午後から病院へ行ってきます。
あ、ここの主役!!小太郎は元気ですー!
留守番させてるんで(いつものことだけど)帰ってきたとたん甘えっ子です(萌)
しめしめ、ニヤリな顔も萌えポイント(バカ飼い主)
そんな中、わたしは学生やってたりもしてます(*ノω・*)(汗)
9時半から18時の授業はキ・ツ・イ。
そんな近況でした。
わたしは大丈夫です。
重い話でしたね軽くスルーしてくださいm(__)m
ごきげんよう、
さようなら。